1月の一時帰国の2つの自主公演、みのりてんデュオプロデュース「ロザリオのソナタ」全曲or照明付き公演、そして鍵盤楽器とのデュオ「幻想と現実の狭間で」(東京、富士、京都公演)が無事終演しました。多くの方にご来場いただき、ありがとうございました。
こんな大規模な自主企画・ダイレクションをしたのはほぼ初めてのことで(古楽オケのマネージャーとしての経験はあったものの)、特に海外からの遠隔の企画は困難が多く、たくさんの方々にお世話になり、感謝してもしきれません。

「ロザリオのソナタ」の照明付き公演は特に思い入れのあるもので、「音楽の本質を最大限活かし表現するため、従来のコンサートの形式のあり方を見直し、そのための空間づくりをする」を目標に掲げました。照明デザインをしてくださった久松夕香さんとは数ヶ月かけて、作品について、またコンサートという形での照明のあり方についても話し合い、とても有意義になりました。ダンス公演などとは違ってフォーカルポイントがない(照らすものがない)という課題は、教会が会場であり使える機材が限られるという制限にも関わらず、知的で緻密に計算されたデザインで見事に昇華されました。空間の感じ方を照明で変えられる、と仰っていた通りの魔術を魅せてくれました。客席で見られなかったが正直残念でした。
また、久松さんと入念な打ち合わせを重ね、当日の照明のオペレーションをしてくださった帆足ありあさんはじめRYUの照明スタッフの方々、ありがとうございました。
全曲公演の方では、「全曲演奏を通じて、よく演奏されるソナタ(第1番や無伴奏パッサカリアなど)に新たなコンテクストと視点を与え、一方で普段演奏機会の少ないソナタにもそれが充分生きるコンテクストで焦点を当てる」を目標に作り上げました。お客様に、ロザリオを使ったお祈りを宗教的な意味合いをあまり持ちすぎずに体験していただこうと、各曲の銅版画のタイトルのみを書いた、1曲につき1枚ずつめくれるプログラムをつくり、思いの外好評で嬉しかったです。CDなどで全曲を聴くのとはなかなか違う、ストーリーや感情に沿った演奏と聴き方を共有できたのではないかと思います。
「演出を手がけた」と自称するにはあまりにも恐れ多いのですが、近年とても興味があり、自分の修士リサイタルなどで度々試みていた「従来のコンサート形式にとらわれないステージング」にも挑戦しました。既に素晴らしく作曲された作品を改変したり、ステージングを加えたりすることは、果たして音楽の本質を増幅して表現できているのか、あるいはぶち壊してにしているのか、とても悩みましたが、これからも問い続けるのだと思います。特に照明付き公演では、演奏者の皆さまから、「なぜかいつもより集中して演奏できた」「客席の集中力がとてつもなく高かった」とコメントをいただいたのは、一つの成果ではないかと思います。
この公演での私の重要な仕事の一つが、各曲でソリストが交代する中で、公演全体、ストーリー全体に一貫性を求めることでした。「演出側・演奏者側が、ストーリーやそこにある感情を明確にし、演奏に一貫性を持たせること」という作業の効果は、実は意外なところにあると信じています。特に「ロザリオのソナタ」のように言語世界に生きていない作品は、言語を持たないのが不利なのだと思っていましたが、実はそうではない。聴衆はそれを言葉ではなく、感覚として受け取るからこそ感じ方が限定されるのではなく、むしろ自由になるのでしょう。その余白の中で、聴衆一人ひとりの人生の体験や、まだ言葉になる前の感情の深い海が静かに呼応するのだと、私は信じています。一見矛盾しているようですが、演奏側が明確なストーリーを持たなければ、その余白も生まれないのだと思います。
このことは、偶然ながらも、私が長年追い求めていた「演奏時、言語のない世界に生きるという集中の仕方」というテーマにも合致したような気がします。
ちなみに、いずれの公演でも演奏された、「復活のソナタの直前に挿入された謎の曲」は、公表していませんでしたが、ヴェストホフのヴァイオリン・ソナタの「鐘の模倣」を私が現代アレンジしたものです(実は後方で密かにヴァイオリンを弾いていました)。
いずれの公演も、それぞれ違ったスコルダトゥーラ(変則調弦)で演奏するというチャレンジに取り組んでくださったヴァイオリンの杉田せつ子さん(ほぼ初挑戦だったとのこと)、朝吹園子さん(大変なスケジュールの中で)、出口実祈さん(特に感動的な無伴奏パッサカリアを演奏してくれました)、そして、この公演のために初めてヴィオローネを習得してくださった懸田貴嗣さん、3時間におよぶ既に大変な公演でもあるのに、全曲の曲間に見事なオルガンの即興をしてくれたパブロ・デヴィーゴさんには頭が上がりません。曲間のオルガンの即興の中でそれぞれのヴァイオリン奏者が調弦する、ということを実現するために、器用に音を選びつつ即興してくれて、ヴァイオリン奏者たちも普段とは違う調弦方法でストレスがあったでしょうに、みんな素晴らしく柔軟に対応してくれました。
また、遠隔での自主企画にこれ以上のないサポートをしてくださったマネージメントの沢井まみさん、斉藤基史さん、沼田結花さん、そして、大事な空間を快く会場として使わせてくださっただけでなく柔軟な対応をしてくださった新大久保ルーテル東京教会さん、大森福興教会さん、オルガンとチェンバロを提供・調律してくださった石井賢さん、録音の安部雅晴さん、録画のViole record大塚さん、兵量の差し入れをしてくださった鏑木綾さん、練習会場として柔軟に使わせてくださっただけでなく様々なことに対応、協力してくださったスペース415の芦野豊さん、ピオティータの西澤世子さん、ヴァイオリンやその他の楽器を快く貸してくださったり、当日の楽器微調整に駆けつけてくださった方々にも感謝しております。そして何より、本企画を実現させてくださったアーツカウンシル東京さまには感謝してもしきれません。本当に多くの方に助けられて作り上げた公演でした。
照明付き公演の新大久保でも全曲公演の大森でもたくさんの方々にご来場いただき、大森ではありがたいことに満席となりました。SNSでも多くの暖かいご感想や、私の思いもよらなかったインサイト、効果を目にして、困難の多く大変だった準備が報われる思いです。
至らぬ点が多く、多方面に多大なご迷惑をおかけしてしまいましたが、私の表現者としての成長にとって大きな一歩になりました。
ありがとうございました。

「幻想と現実の狭間で」では、これまで1年間ほどかけて取り組んできた鍵盤楽器奏者パブロ・デヴィーゴさんとのデュオを実験的に表現できた場となりました。公演のタイトルの「現実」とは、このデュオのために作曲された曲が極端に少ないこと、バランスの問題があること、一方で「幻想」とは、それでもこのデュオをするわずかな手がかりがあること、また、お互いの音が似ていすぎて、聴衆はおろか演奏者ですらどちらから出ている音かわからないことがある不思議な音響であること、を指しています。レパートリーの選択やバランスの問題、どちらの楽器もアーティキュレーションがとてもクリアでアンサンブルとしてタイミングがシビアであることなどが課題でしたが、それを乗り越えるのだけではない、自分たちのやりたい音楽に違い演奏ができたのではないかなと思います。パブロさんは私好みのとても良いプログラムを作ってくれて、デュオらしい、動的でサプライズの多い公演となりました。
こちらも、マネージメントの沢井まみさん、高本昌幸さん、森下智子さん、楽器を提供・調律してくださった石井賢さん、安田修太郎さん、笠原雅仁さん、会場として使わせてくださったソフィアザールバロック高円寺さん、ゾンネンシャイン音楽堂の北川アンジーさん(素晴らしい音響と楽器、そしてオーガナイズをありがとうございました)、京都公演で集客に苦戦した時にお友達や生徒さんに声をかけて宣伝してくださった方々(挫折しそうになる中、大変大変励みになりました)、また何よりも、手厚いサポートだけでなく助成もしてくださった青山音楽財団さん、青山音楽記念館バロックザールさまには感謝の気持ちしかありません。
また、今回の一時帰国では、もちろん自主企画だけでなく相川郁子さんとのデュオ、アンサンブル・イレーヌ「結成10周年記念復興公演」では10年前の苦労とその間の成長を実感し、辻康介さんとの「カメラータCamerata “Satsu” Da Nemo オペラ誕生の原点をたどる―1600年初頭のイタリア『新音楽』」では私の大好きなペーリを楽しく演奏させていただき、感謝でいっぱいです。